うれしい!

幸せとは、幸せに感じるからなんだよ。

 

逆はその通り

(引き寄せたくないから敢えて書かないw)

逆に飲まれやすい私。

 

 

幸福と不幸は対で、その数は等しく

それぞれ受け持つ担当があるものだと考えていました。

 

それを払拭してくれた人が何名かいましたが、

2022年秋に会わせて頂いた方は凄かったです。

正しい生き方を知らされましたし、今までの幸福と不幸の概念が見事に崩壊(^^)

 

さて、

逆境のとき、何を考えているか?

ほんの束の間でもどうやって楽しむか?

これが常々のテーマですが、ずっとそれではいけない。

そこから早くギヤチェンジすることが大切。

 

 

シルバー人材派遣の方の姿を見て、

単なる荷役作業を楽しく話ながらやっている。

即ち、その時間を楽しんでいる側面があるんです。

 

『だから彼らは元気なのか!』

 

自分に素直になるって、

簡単なんでしょうが自分軸の見つけ方を知らないとズレまくる。

そんな自分軸って、

2022年秋には、『あっそうだったんだ』

と、あっさり(爆)

 

 

生き方(=考え方)が違っていただけで

みんな幸せになれるんですよ(^^)

 

運る

かくなる私、

妖精の烙印を押され◎日。

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勿論惑ティンは未接種。

 

初日・身体が風邪っぽく夜には発熱

2日目・発熱下がらず

3日目・無料検査場で簡素な検査により妖精になる

4日目・各所へ連絡だけで力尽きる、薬にありつく。

5日目・上限を飲み続けた薬がなかなか効かず、食事も出来ないまま過ぎる。

6日目・ようやく薬が効いてきた。心配なことがあるので病院受診。検査し、問題なく食事出来るとし、夜は久々に食事を摂取。

7日目・運る!運はめぐるごとく運は出た!何日ぶり?強烈だった(爆)

 

 

しかし、こんな精度が良く解らないもので左右させるなんて・・・

今回の体調が本当はインフルエンザによるものだったら、先にインフルエンザの検査をしてたなら、

もっと的を得た治療を受けていたとおもいます。

 

何とか2食たべれるまで復活。

頭痛は少しでも残りながらも熱も下がり、安定してきたので久々に出勤。

 

かれこれ13日ほど世間離れしてました。

 

妖精さんになったが故に、様々な制度を利用させて頂けたことに感謝です。

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今生に生きる理由

人は誰しも親を選んで生まれ(ちょっとびっくり)、

大半はその役目を忘れたまま生きていたりします。

 

大宇宙・小宇宙、虫の知らせ、など、

表現は宗教の数だけあるでしょう。

 

そんな中、

小生が今まで生きてきて違和感を感じたことを忘れなかったことはありません。

単なる好みの問題として、ある意味強引に結論付けられること、

解りやすいのが

タートルネックやマフラーが好きじゃないんです。

それ

まさか!

前世が絡んでいたとは!

それを知ったら納得。

かと言って、タートルネックやマフラーはやはり要らないʬʬʬ

 

 

そして不思議な(良くない)巡り合わせにも苦労しました。

うまく表現出来ないけど、順風満帆が何らかの原因で自分の出番には風向きが変わる。

そして、これはある意味評価なのかも知れませんが、仕事で風向きが変わる際、最初が自分になる場面がホントに多かった。

当然、初期エラー多発ʬʬʬ

おかげでスキルが上がる上がる(^^)

 

幼少期の生活環境で無意識に感じ取ったことが無意識的なトラウマとなり、単なる体質として扱われた食事中〜食後の汗、しかも何かの病気の前兆なのかと心の隅で気にしてました。

 

それらが明確になった日が

2022年10月11日だった。

 

まだまだたくさんありますが割愛します。

 

その後、

20年以上ぶりに

気持ちいい欠伸。

布団に入って寝付くまでの間、即オチすることなく瞑想できる。

朝起きて、若干二日酔いでもやる気に満ち溢れる。

椅子から立ち上がったときなどの背伸びが気持ちいい。

これだけでもかなりポジティブ(^^)

 

何となく声が出しやすくなった気がしたり、

肩こりがすげー楽に

 

 

半世紀生きてきても、まだまたま人生捨てたものじゃない感が溢れます。

 

タイトルの理由

その日を過ぎて

それは自分の軸の作り方なんだ

と、私は思いました。

 

 

先生と素敵なご縁に感謝です。

 

支給されたホールケーキ

平成の時代も一桁の頃、

ある会社の社長はこう言った。

『誕生日はこのケーキを家族みんなで食べるように』

『ご家族のおかげで安心してこの会社に働きに来ることができることに感謝してケーキを食べてください』

『会社は勤めてくださる皆さんとご家族に感謝を込めてケーキを支給してます。』

 

今更ですが、

「誕生日は自分が存在していることに感謝するものである」

と言われた気がします。

 

生まれて半世紀となる今、

退社して四半世紀を経過する今になって様々な言葉が脳裏に蘇ってきます。

 

 

シンプルだけど奥が深い社長の言葉、

社長の精神が社訓・社是であり、従業員教育であります。

創業者のエネルギーの高さはすごい。

 

一方、自分が堕ちるとき、

理不尽なことで自分が辛い局面になる場面ばかりでした。

そんなときはついつい近くを見てしまい、

その環境に置かれた自分のことばかり考えてしまう。

 

その対策を知ったのは最近である。

過去記事にヒントあります(たぶん)

 

 

 

【今年も桜の花は咲きました】

 

そうなんです、

生きてるんです。

五体満足です。

それすら儘ならない人が乗り越えているんです。

楽しいほうがいい!ってね(^^)

 

 

無いモノを追いかけるのが人間。

自分に有るモノはなんだろ?

 

今の職場では誕生日にケーキはないですが、

自分に有るモノを教えてくれる環境で、

手が空くと、なぜだか他を助けたくなるような職場環境です。

┌(._.♡)┐アリガタヤー

 

そういえば、、

そんな職場、あったな。。

入社4年目で閉鎖したけど、

そこと同じような感じです。

 

それと真逆と言える会社にも居ましたが、

理不尽のフルコースʬʬʬ

 

振り返りますと、

社長の姿勢そのものが会社の空気なのかな?

日本人も天皇陛下という日本の象徴の綺麗な振る舞いのおかげで、

我々日本国民は

秩序を守って生活しているのかも知れません。

 

 

母よ、祖母よ、祖父よ、曽祖父よ、

私は今日も五体満足で生きてます。

 

 

父が元気で居てくれるおかげで出勤・出張ができる今、

「家族のおかげ」を痛感し、感謝し、

複雑な感情で出てくる涙を堪えて書いてます。

 

 

ありがとうございます。

素直になれない自分

母がこの世を去ろうとするのが見えたのは3年前の夏

 

一番やっちゃいけないことを

「わかっている」と言いながら続ける母。

 

自分が悪者になってもいいと思い

そっちじゃない!と警鐘を鳴らすも虚しく

届かなかった。

 

入退院を繰り返し始めたのが3年前の今頃。

自分は一切病院へは行かなかった。

病院では私の悪口を言いまくっていた。

かなりうるさく警鐘鳴らしてたからね。

 

その頃、出張で大阪に居た私は、

思いつきで京都のある人へ連絡して足を運んだ。

そういったことに敏感な方ですので、対策をご教示願おうと伺ったわけです。

「何か爆弾を落とさんとあかんね」

と、

ショッキングな言葉が必要とのことでした。

 

帰宅し、退院してきた母に相変わらず物申す私。

 

その後再び入院

入退院を繰り返すとはこのことか!

と感覚で理解する。

 

私は諦めず、母の行く方向を否定するため考える考える。

そして、病院へは行かない。

聞いた話で、母は私が来るのを期待していたが、

会いたいなら出てこいという無言の抵抗?です。

 

ある日、東京から戻る途中に叔母(母の実妹)から電話。

20分間だけ電話に出れるタイミングにかかってきた。

母の容体が良くないので、明日は必ず病院へ行くようにと。。。

実はその頃、父も腰の骨折で入院中

 

私が動けるのは叔母のおかげです。

叔母には感謝しかない。

 

私が母の病室に入ると、酸素マスク姿(ちょっと驚いた)の母は大きく目を見開いた。

叔母が母の表情の変化に驚いていた。

実際、母の記憶に残る最後の面会であった。

 

母は元気だった頃から、

自分の手術を決断する潔さと前向きに回復することに自信を持っていた。

だから『もし、余命告げられたら正直に教えて欲しい』って言ってた。

 

しかし、乳がん転移ではないが、別に癌が見つかったその現実を見た瞬間、

同じ病状、同じように母の従兄の奥さんを追いかけるように悪化。

『私もああなる』と、乳がんの先輩として見ていた。

結果、発病から生涯を終えるまで見事に◯ヶ月遅れで同じ道を辿っていた。

 

(のちに、私は癌の転移について衝撃の事実を知ることになる)

 

母は自ら余命宣告を受けていた。

春から秋まで修正かけられながら何度も宣告受けたようだ。

 

最後の宣告は見事、医者の言う通りだった。

医者の言葉の影響力を知ったのである。

だから医者は言葉を選ぶのだな…

 

69歳の誕生日まで生きれないと、

医師の言う通りになっていた。

誕生日の4日前の朝連絡が来た・・・

 

霊安室では担当医がどうしていいかわからない表情で立っていた。

コワモテと言われることのある私を初めて見て余計にそうだったと思う。

 

彼は一生懸命母と向き合ってくれました。

『残念ですが母が選んだ結果です、本当にお世話になりました。』

『ありがとうございます』と言って一礼した。

少しホッとした表情になってくれました。

 

身動きの取れない父はストレッチャーで病室へ戻っていった。

 

 

言いたいことは全て言った!

そう自負し悔いは無いと自分に言い聞かせた。

 

実際に亡骸と別れる際の行列の先頭で一気に溢れた。

悔しい、本当に悔しい!

谷間がある理由

女性の胸元が・・・

目のやり場に困りたいw

 

人生山あり谷ありって聞きますが、

山があるから谷ができるのであって、

平々凡々なら山もなければ谷もないのではないか?

 

と、昨日に全身の痛みと倦怠感で1昼夜苦しんで思いました。

 

だから豊満なバストの女性は谷間が・・・w

 

さて、

本日未明に後悔したことがあります。

『変な意地張らずに早く薬に頼れば良かった』と。

体力だけ無駄に消耗しました。

寝てただけなのにw

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今朝はなんとか通常を取り戻しました。

 

さて、取り戻すぞ!

相対性理論と愛情とエネルギー体と意識体

ある職場でその人を見て、自己愛性人格障害にはなりたくない。

漠然とそう思いました。

 

で、

 

かと言って自己愛は必要。

そのさじ加減には結構悩みます。

 

 

ようやく、

なんとなく、

その差が見えてきました。

ググれば解るというレベルじゃなくてね。

 

思い返しちゃいけない場面もありますが、

思い返すこと20年ちょい前より前w

いつだよ!w

「鬱のトンネルは自分で長さを決めている」

その意味を知ったことがありました。

しかし、再びその局面に立った瞬間、そのことすら忘れました。

 

なんてこった。

 

 

自分が嫌いなとき、全てがますます嫌いになっていきました。

ブラックもブラックな

ベンタブラックな会社に入ったとき、

自分を嫌いになる余裕もなく、

毎日を体力の回復と温存について考えることに費やしてました。

 

ある日、少し振り返るときが来ました。

消去法ではありますが、ほんの少しの実績が認められて、

白羽の矢が立つことになりました。

 

それからというもの、

ブチ切れモードもありましたが、

自分カッケーと思うこともあったなぁ。

そんな時、日本人の奥様連中から冷やかされましたが、

中国人研修生の女の子に地味にモテてました。

 

そういうことだったのか!

 

なぜそんなこと今頃?

 

今まで気づいてなかったんです。

 

ありのままの自分を受け入れる。

先天的な宿命は変えられないですが、

後天的な運命は変えられる!

 

今頃になって気づくなんて、人生もったいないことしたなぁ。

でも、今日からでいいんです。

 

白い絵の具素質は直らず、対処すらしなかったので、

インフルエンサーに言われたことを真正面からモロに受ける自分。

受け取る内容を選択しなかった自分。

単に意味もなく落ち込んでいた気がします。

 

自分の中ではモヤモヤしまくり。

なんの意味もなく。

 

反省をするとかしないとかいう意味ではなく、

全て自分のせいだと受ける反面、あまりにも辛いので環境のせいにしてしまう現状。

そして周りに不協和音を奏でさせる事態に。。。

そんな自分が嫌になりスパイラルが始まる。

そうなるとますます周囲にも・・・

 

そこで、

愛とは?

相対性理論

そんなキーワードに出会いました。

内容は割愛しますが、愛のエネルギーレベルってパねぇ。

 

自己愛、改めてありのままの自分を受け入れることからしていきます。

ありの〜♪ままの〜♪

 

そして、今との比較。

そのとき、比べるのは他人ではなく過去の自分。

自分軸に形成と同じだ!

 

 

前記事の自己肯定が大切を含め、

そして、自分を好きになるために、

自分で自分を褒めてみよう。

 

生まれたことが奇跡

そこから成功は始まっているんです。

 

 

今度は周囲に無償の愛を与える課題だ。

これもなんとなくわかってきたような感じです。

 

実践はまだまだ足りないのですので、

引き続きいきます〜

 

今日も最高です。